Life is Beautiful~Yukari'diary

自分の本質と向き合い自分らしく生きることをモットーに、子育てママの気づき、感じたことを綴っています。

一巻の終わり~CANDO

| 0 comments

2013年1月31日。この日をもって、カンドウコーポレーションのボスである福原勘二が社長を卒業します。呼び方はボスのまま。会長職として残るのですが、それでもやはり代表をおりる、ということは第一線から退くことであり、それを受け入れ新たな第一歩を踏みしめるのにとても時間がかかった。もちろん、それよりも何年もかけて考え準備をしてきたのはボスだけど。
振り返り書き連ねては何度も消した感謝状。思い返しては溢れてくる日々を書き連ねるには事足りないけれど、感謝の気持ちをこめて、少しだけカンドウの歴史に触れてみようと思う。

カンドウには、誕生日が2つ。1つはカンドウが産声を上げた2月15日。そして、ボスが独立し本稼動を始めた10月1日が独立記念日。
私が入社したのは、正式には2000年(といっても、1999年の後半から出入りはしていたけどね)
一度卒業したので約2年抜けてはいるけれど、その間もずっとボスを筆頭にカンドウからエールをもらい続けてきた。

1999年から2002年くらいにかけて、カンドウにとってとても苦しい時期だった。
当時、経理も担当していた私は何度も電卓と通帳のにらめっこ。何度冷や汗をかき、何度ボスは身銭をきってきたかしれない。
明るい兆しを感じつつ、それがなかなか形に表れないもどかしさ。長いトンネルの中にほんの少し光が差し込んでいて、そこに向かって突っ走れるだけ突っ走ってきた時代。その中でブレーンさんやクライアントさんから多大なる力を与えてもらえたのはボスの人徳だと思う。

私自身パティシエからプランナーに転職し、机上でマーケティングとはなんて教えてもらったことはない。(そこまで余力がなかったともいえる)その代わり、今でも日本、世界で活躍される素晴らしい方々に直接教えていただく機会をたくさんいただいてきた。
企画書をボスに見せる度に、さし返され「お前はクライアントのことを何も考えていない」とつき返されるのみ。でも、私にも言い分がある(生意気だけどね)時に灰皿が飛び、悔し涙を見られることさえ悔しくて一生懸命息をはいていたのは有名な話。

クライアントの打ち合わせに行くギリギリまで、提案するものがベストかどうか、考え続けた。たとえ後30分で出かけるという段階であっても、より良い提案に結びつくものであればやり直すことは日常茶飯事だった。それが、どんなに前日徹夜で仕上げてくれたものであっても、譲らない。
組織内部の体制を見直し、少しずつ評価され、そしてクライアントと共に育ってきた年月。

話は少し飛ぶが、こういうことを思い出すきっかけの1つにクリスマスがある。
クリスマスは、街中がキラキラに装飾され、子供もカップルもそして家族もみんなが楽しそうに街を歩いている。そんな光景を見つめながら、不安とほんの少しの希望が織り交じり苦い想いで過ごしたのが1999年だった。
それから2001年。今ではクリエイターとして大活躍のやんぷーが専門学校卒業後入社。ウェブ自体の需要も伸び支持されることが増えてきた。とはいえ、新入社員であるやんぷーに、「挨拶は?」「お茶はこう出して」ボスも私もまるでお母さんのようだった。

2004年に大志と裕恵が入社。人員も増え、経営自体も少しずつ安定してきてオフィスを引越し。その後、高味さん、和美と続いていく。

忘年会はおしゃれにドレスコードを決め、クリスマスパーティーとして行うようになったのが2004年。クライアントやブレーンさんも招いて、カンドウチームが大きな輪となって楽しみ慰労する会として盛大に行えるようになった。
それでも、あのときの苦い気持ちは絶対にずっと忘れられない。あの苦い想いがあるからこそ、今があるのだから。
クリスマスが時にはサプライズパーティーに変わることもあったけど、一部を紹介。みんな楽しそう。何本あけてきただろうね、ワイン。

私がボスに出会ったころから、ボスは持病持ち(といったら怒られるかもしれないけれど)。
何度モルヒネやボルタレンを投与しながら、クライアントの打ち合わせに行っていただろう。
約束はどんなことがあっても、絶対の人。よっぽどのことがない限り、ドタキャンはない。
そんな折、肝硬変の疑いが生じ、またもや不安に押しつぶされそうになる。
2002年の夏。ボスが41歳を迎えるときだった。
誰もに生きようとする力がある。その炎は絶対に消させない。そんな想いで、副社長である小田さんとサプライズパーティーを計画。
クライアントやブレーンさんにも協力いただきサプライズでバースデーパーティー。狙いは、ボスの念願であったバンド復活のステージ。やりたかったことを実現する経験は、それだけで生きる力となる。あれほどワインを飲んだにも関わらず、翌日の検査では通常値に戻っていた。人間の力は意思次第でどうにでもなるのではないかと思った。
残念ながらデータで写真がないので割愛。。。

この頃から、サプライズはカンドウの中で習慣化始めた。人を喜ばせるのに何ができるか。それを考えるには相手を知らなくてはできない。こっそり計画し、めいいっぱい続く仕事時間の合間にクリエイティブチームが動く。それは、みんなの持つ力を研ぎ澄ませる機会でもあった。
2004年4月。私へのサプライズ。誰もお菓子作りをしたことのないメンバーが、いつもお菓子を作るお礼にと仕込んでくれたチーズケーキ。これは、なんちゃってパティシェとして今もDVD(もどき)となっている。

2005年12月、小田さん40歳のバースデー。
いつもサプライズされっぱなしのボスは、はりきって小田さんをサプライズしようと試みる。でも、裏チームが登場。小田さんが喜ぶのは、ボスの喜ぶ姿を見たとき。というわけで、ボスにもサプライズ。
小田さんには、これまでの作品を作品集として本に。ボスには、これまで書き溜めてくれたカンドウの歴史ともいえる徒然を書籍化。
結構な額になり、怒られはしたものの・・・いいパーティーだった。

2006年2月15日。この日カンドウは、15歳を迎えた。
心に決めていたことがある。会社に体力がついたら、これまでカンドウを育ててくれたボスと小田さんをねぎらうパーティーをしようと。10周年のとき、何もできなかった。それがとても悔しかった。
20年を待てず15年で実施。もちろん、カンドウ2つの記念日に。
10月は、メンバーだけで大好きなムートンロートシルト91をあけ、お決まりのレストランにて。そして、創立記念日の2月15日。これまでお世話になっているブレーンさん、クライアントをお招き。
15年の歴史を振り返り様々なドラマ、思い出深きスポットを訪れロケ撮影。その報道番組をパーティー中に流すという内容。みんな、いい顔してる。

「そろそろ社員旅行に行こうや~」ふと思いついたようにボスは言う。
だけど、石橋たたいて渡るボスとしては、言う前にものすごく考えてきたことだったのかもしれない。数日会社をあけること旅行という大きな出費。だけど、頑張ってくれるメンバーに何か恩返しをしたい。そういう想いはひとしお強い。
旅行とまでいかないまでも、プロジェクトを乗り切ったメンバー(ブレーンさんも含め)との打ち上げ、突然のご褒美会食・・・美味しいものを食べさせたい、労いたい。それが十分伝わってくる。
労いの場では基本厳しいことは言わない。言うとしたら、人を選び言い方を変える。時にはそういう話をする会食だってあった。
だけど、自分のためにあえて厳しい言葉をかけてくれる。その想いが痛いほど伝わってくる。それが翌日からの活力となる。厳しい言葉を言って、誰でもないボスが一番心痛めているのが分かるから。基本、みんなで笑っていたい人なのだ。

2007年。これまで近場だった社員旅行から、飛行機に乗って沖縄、石垣島へ。マリンスポーツに明け暮れ、夜の浜辺でキャンドル灯し、コロナで乾杯。

2007年4月。ほとんどのメンバーが独身の中、第一号となったのが大志。
結婚式はしないという大志に、「それはよくない。カンドウが企画する」というボスの一言で、レストランウエディングをプランニング。牧師となり、実施にいたる多くをサポートしてくれたのは、誰でもないボスだった。この時、初めてoh!happydayをみんなで歌ったね。高味さんを筆頭に何日も練習を重ね、今ではメンバーのウエディングにおいて定番化したものとなった。

続いて2008年8月。やんぷーのウエディング。卒業したメンバーも参加。ボスの祝辞。
セミナーで話すことが多く場慣れしているというのもあるけど、ボスの言葉には心に響くものがある、といつも思う。
聴いている人の目が輝き、心を打たれ、気がついたら人が動いている。それはボスの人間味溢れた性格がストレートに出ているからだと思う。

2008年4月。なんと、私卒業。といっても、カンドウは私にとって心の支えだった。舞い戻らせてもらいました。
この日にもらった卒業証書。どれほどその後の私に勇気を与えてくれたかしれない。

どんなに苦しい時も会社では笑っていてくれたボス。
夏に海に行くようになったのは、何年からだろう。。。海から山に変わったのが2005年。バーベキュー、焼肉の場では必ず焼き奉行となり、みんなに「ここ、今が旨いから食え!」と汗流しながら、取り分けてくれたっけ。
2009年の山の家。私は姫をつれて参加。初めて川に入り自然の中でバーベキュー。姫にとっても思い出深き夏。

2011年11月。女性陣の中で唯一(苦笑)既婚者となる和美の結婚式。
泣いて泣いて泣きましたね。まるで娘を嫁にやる父親の心境。
チャペルを歩くそのときから、ハンカチが手放せなかったね。いい結婚式だった。

そして、2012年のクリスマス。創業して22年目のクリスマス。ボスは、あの辛かった時期を思い出していたのだろうか?
きっと心の中に刻まれていても、それ以上多くの仲間に囲まれ、バンド復帰し、追いかけていく夢に夢中だったのではないかと想う。(と思いたい)

書いてみようと思ってみたものの、ここに書ききれないほどの日々。また思い出しては付け加えていくかもしれない。
一人ひとりの心の中に、たくさんのボスの愛が刻まれている。
感謝の念は、溢れるばかりで言葉にならず、走馬灯のように様々なシーンがよみがえってくる。

そして、今日。31日をむかえ、いよいよ新たな出発をする日がやってきた。

カンドウという船を舵取り、メンバーはもちろん関わる多くの人々の父親となり、時には同志となり、時には無邪気な子供となり、厳しさを持ち合わせた大きな愛で包んできてくれました。また、いつも笑って私たちの中心に立ち、支えてきてくれました。
その存在はこれからも変わりません。
だけど、確実に会社という組織において、変化が訪れる。その変化を受け入れるには、私自身とても時間がかかりました。
ボスのいないカンドウを実感していくのは、1巻が幕を閉じ、2巻からでしょう。
いつまでも、カンドウが好きだと言ってもらえるカンドウであり続けたいと思います。

感謝状
いよいよ、ボスの社長卒業の時がきましたね。
「人生、そんなもんだよ」の声に「人生、捨てたもんじゃない」と
可能性を信じ、仕事の業務を超え、人と本気で関わってきた数々のドラマ。
そして培い拡げてきた人との絆と輪。
運命共同体として、いっぱいぶつかり、たくさん共鳴しあい、切磋琢磨してきましたね。

そして今。その同志を失う、途方もない不安と寂しさが私の中に混沌と渦巻いています。

私が卒業証書をもらった時、たとえ卒業しても、
カンドウはカンドウとしてボスを中心にみんな居る。
私の心の中に、いつもカンドウがいる。それが支えでした。

でも、私たちは生きている以上、カンドウのメンバーでいる以上、
変化を受け入れ、時には自ら変化し、上を向いて歩いていかなければいけません。
22年の年月を経てその土台を作ってきてくれました。
クライアント、関わってくださる方々に貢献できる力を研ぎ澄まし続けることが
カンドウDNAを受け継ぐものとして、果たすべき任務。

今、誰よりも大きな責任を背負う覚悟を決めた小田さんの支えになれるよう、
ボスの抜けた後を担うカンドウメンバーの支えとなるよう、
この変化が、誰にとってもより良い選択であり、希望であり発展となるよう走り続けます。

カンドウを産み、全身全霊で育ててくれてありがとうございます。
これまでボスが与えてくれた想いと言葉は、多くの人の人生に刻まれています。
走り続けてきた心と体をこの辺でほんの少し労わり、新たな形で共に生きていきましょう。
運命共同体は、永遠です。

言葉にならない感謝を精一杯こめて。未来に続く・・・

コメントを残す

Required fields are marked *.


*